花ぞ散りぬる 四
作 ・ リコさま
2009/05/14(Thu) 01:04 No.349
「隆盛!」
珠晶は自分の発した叫び声で目が覚めた。うなされて、苦しく、全身を不快な汗が包む。
「主上、大丈夫にございますか?」
心配そうに駆けつけた女官に大事ない、と声をかけ呼吸を整え座り直した。
……あの恐ろしい夢は幻か、現か。夢の中で隆盛は途轍もない邪気と悪気に包まれもがいていた。まるで蜘蛛の巣に引っかかり絡みとられる寸前の虫のように。
早く探したいがどうしたら良いのか見当もつかない。安心して助けを求められる人などここにはいない。どころか、この罠を仕組んだ人間が近くにいるかもしれないのだ。
一人絶望の淵に沈む王に朗報をもたらしたのは、昇山の時からことあるごとに助けてくれた利広だった。
「珠晶、供麒の居場所がわかったぞ。宗麟が気を探ってくれた。早々に出発しよう」
「隆盛も、一緒かしら」
「宗麟に隆盛の気はわからないよ」
輝いた顔を再び曇らせた珠晶を見て利広は意地悪な気持ちを持った。
「ひとつ、言わなければならないことがある。宗麟は供麒に失道の気配を感じると言っている」
「失道? 何故? 私が天の理に適わないことをしたと言うの?」
「生命の危機に瀕している麒麟のことより、太師の心配ばかりするからじゃないか。寂しかった供麒の嘆きが失道を呼んだとか」
珠晶がどんな反応を示すのか知りたくて、皮肉混じりの言葉をぶつける。
「麒麟が寂しいから失道するなんて初めて聞いたわ。私も隆盛も民のために政を行ってきた。先王崩御よりこの国を思いのままに動かした悪しき官を遠ざけ、産業も文化も発展させた。民は圧倒的に隆盛を支持し、供麒も感謝していたわ。失道なんてありえない」
珠晶は冷静に話す。
「ただ、そのために隆盛は敵を作りすぎた。蓬莱の辛い経験から人を踏み台にすることは絶対にしなかった。そんな甘い処置ではいつか災いが及ぶと忠告しても、力で言うことを聞かせればそれこそ災いが主上に及ぶと逆に窘められたの。凄みがあって、自分には厳しく人には優しい。ごつくて、強いんだけど神経が細やかで暖かくて」
利広は不思議な感覚で珠晶の話を聞いていた。何故かさっきから珠晶が太師の話をするたびに棘が刺さったように胸が痛い。
それだけではない。時折見せる憂いを帯びた目と合うとついおどおどし、視線を外してしまうのだ。
……そうだ。もう即位して十年がたつ。王は不老不死だから見かけは十二歳の少女のままだ。だが心は成長し、二十二歳の女性を感じる。その落差に戸惑っているのだ。
自分の心を冷静に分析しようと試みた。が、違う感情が支配する。こういう経験は今までも幾度かある。初めてではない。だからわかる。
しかし、、まさか、、珠晶に?
「どっちにしても私は死ぬのよね」
自らの妄想に没頭していた利広を現実に戻す言葉が浴びせられる。
「供麒を見つけださなければ王の命はないし、見つけても失道なら命はない。国に良かれと力を尽くしたことがこんな報いになるとは思わなかったわ。でも、自分の因果が自分に返るなら甘んじて受ける。だけど隆盛は海客なのよ。巻き込んでしまって…… 申し訳ない……」
また胸が痛い。不安に怯える少女を抱きしめてあげることはたやすい。しかし、相手は子供ではなく女性。簡単に触れるのはためらわれた。
「なぁ昇山した時と今と、どっちが大変だと思う?」
「どっちもどっちよ」
「そう言うと思ったよ。なら行こう」
珠晶の視線はまっすぐに利広を見据えた。視線が眩しくてたじろぐ。
「どこへ行くの?」
「私は太師のように頼りにならないかもしれない。でも、珠晶を失いたくない。ならば、太師と供麒を助けにいくしかないだろう?」
利広は自分の心に宿った感情を違う形で表した。
目的地に向かう途中、珠晶はポツポツと口を開いた。
「隆盛も仙になるのがいやだと言ったの」
「何故?」
「不老不死、永遠の命は無間の闇をさまよっているようでいやだって。終わりのない旅はいつもお尻を叩かれているようで主上はおかわいそうだって」
「かわいそうか……」
「隆盛は蓬莱のことやこっちへきてからのことをいろいろ教えてくれた。私って何も知らなかったのよね。知らないことばかりなのに私は王よ、って片肘張ってたの。これでは官がついてこなくても仕方がなかったわ」
「苦労していたんだな。私が奏南国太子として即位式に参列したくらいでは認めてもらえなかったんだ」
「いいえ、そういう問題ではなかったの。二十七年、王が不在で国を切り盛りする大変さを私は理解できてなかったし、官も下界の様子を理解できてなかったのね。もっとお互い話していかなくてはならなかった。それをしてくれたのが隆盛だった。ホントよく人の話を聞くのよ。そして行動に移す。どこかの村で疫病が流行ったと聞けばすぐに調査をさせる。汚い井戸水が原因と判明すると自らが指揮して安全な場所に新しい井戸を掘らせたわ。隆盛がいてくれたら国はますます安定したのに」
「簡単に諦めてしまうのは珠晶らしくないな。まだどうなるかはわからないさ」
「そうね。でも、昔はわからなかったいろいろなことがわかってきたのよ。大事な人を失う辛さ、生きていく苦しさ。以前の私は怖いもの知らずだった。自分さえしっかりして努力さえすれば何でもできると思っていたの」
即位の時に、父や母、兄と交わした会話が蘇る。
「供王登極は苦難を極めるでしょう。主が十二で朝廷が落ち着くはずがない」
断言したのは自分だった。
人の縁は不思議なものだ。昇山より再び彼女に惹きつけられてしまったのも天の配剤だと信じ再び珠晶の運気に巻き込まれてみよう。
利広の瞳には力強い光が宿っていた。