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かそけき湖畔の楽園 空さま

2010/05/04(Tue) 20:18 No.679

 浩陽を基本にしていますが、慶国の日常生活を目指しています。 原作にない設定をいくつもしています。原作ファンの方大変申し訳ありません。
 5節に分けて掲載します。無駄に長くて本当にすみません(汗汗)

登場人物   陽子・浩瀚・鈴・祥瓊・景麒・桓たい・
その他騎獣を含む大勢  
作品傾向   ほのぼの(浩陽未満)  
文字数   10283文字  



かそけき湖畔の楽園

作 ・ 空さま

* * *  第1節  * * *

2010/05/04(Tue) 20:19 No.680

赤楽四年、ここは慶国暁天にある金波宮の内殿。忙しそうに執務をしているのは、この国の王と呼ばれている赤い髪の少女。胎果の王である中嶋陽子は、各官吏たちから上がってきた書類に目を通し、必要な裁可を行っている最中だ。

「おい、その書簡を開いておいてくれ」
「かしこまりました」
「ああ、それからそちらの文書も頼む」
「こちらでございますか?」
「いや、その下に挟まっている少し薄いほうの物だ」
「ではこちらを?」
「そうだ。その確か三枚か四枚目に出ている地図を広げてくれないか」
「建州でございますね?」
「ああ……」

 四月を過ぎ、五月になろうかというこの時期、普段の年であれば暖かい地方からはもう田植えの便りが届いているころである。ところが、今年は天候が不順で作付がうまくいっていない。その被害はどれくらいになるのか、必要な対策は無いのか、皆で考えてそれぞれを執行しなくてはならないのだ。

 王はそれほどやることはない、皆官吏の仕事だ。
 かつて陽子は自分の太師になる前の遠甫にそう諭されたこともあった。確かにその通りなのだが、官吏たちが何を提案しているのかぐらいは知っておかなければならないと、今では思っている。登極したばかりのころは、そのほとんどを景麒や遠甫、もしくは冢宰である浩瀚が説明していたが、このころ、陽子はわずかずつではあったが、ある程度自分で判断をしたり疑問点を確かめたりすることができるようになっていた。

「それでは、次は地官府の物と冬官府の物を出してくれないか?」
「主上?」
「ん?? なんだ浩瀚」
「もう夕餉の刻ではございませんか? このように執務ばかりに集中されては主上の御健康について悪い影響があるのではと、私があとで女史殿に叱られてしまいそうです」
「あ!」

今日の午後の執務で、陽子の補佐を行っていたのは冢宰である浩瀚であった。景麒はこのところ瑛州の仕事に追われていて朝議のあと陽子のそばにいられないことが多い。やはり天候不順のせいである。慶は南部地方はそうでもなかったが、瑛州より北では、寒さがいつまでも残っていた。和州と瑛州は稲の苗の成長が遅れている。建州はもっと大変だった。冢宰の浩瀚の所に回ってくる訴状の量も半端ではなかった。しかし、そう長い間税を軽くしていることもできない。登極してすぐに軽減した税率を、昨年末少し元に戻したところだった。国を動かすのは、簡単なようでもありそうでもなし。陽子も実感としてやっとわかってきたのだ。
 しかし、いくら神仙でも腹が減っては戦も執務もできはしない。浩瀚の困ったような複雑な微笑みを見て、陽子も苦笑を洩らす。

「そうだな。今日はもうやめるか。浩瀚、お前も食事の時間をとる気などないんだろう? ここで私の毒見代わりに食べていけ」
「それは御命令で?」
「もちろんだとも」
「では喜んで、御一緒させていただきます」

あまりに仕事熱心な国王と冢宰をはらはらしながら見ていた祥瓊と鈴は、お互いに顔を見合すとほっとしながら、夕餉の支度を手伝いに出ていった。

 あたりはまだ明るい。すっかり日が伸びて、灯りを射さなくても十分なくらいだ。内殿の庭に向かっている窓は大きく開け放たれていたが、寒さは感じなかった。

「浩瀚、味はどうだ?」
「大変おいしゅうございます」

暖かい食事は、ただそれだけでもほっとする。ましてここは王宮、華美を好まない陽子は、食事も歴代の景王に比べると質素なものであったが、食材は吟味された最高の物を使い、一流の調理人の手を経た物ばかり。おいしくないはずはなかった。

「この、三角の油揚げのようなもの、珍しい。こちらの世界に来てから初めて食べたような気がするんだけど?」
陽子は、浩瀚の顔を見ながら、今夕の献立の一つに感想を言ってみる。
「こちら、確か建州の料理だったと記憶しております」
「本当?」
「はい。建州では寒さや平地が少ない事から、なかなか米や家畜などの生産ができませんでした。そんな中、山の斜面などを利用して、豆が良くできたようでございます。その豆を利用して、豆腐や油揚げが特産品として有名なのですよ。厚みのある三角型の油揚げに、今夕添えてあるのは山椒入りの甘みそではないでしょうか?」
「うん、確かにそうだね。おいしい!」
そう言って、陽子は残っていた大きな油揚げの焼き物をたいらげた。ふと気がつくと、その皿の脇には、桜の花が添えてある。あわい薄紅色は陽子のよく知っている桜の色に似ていたが、その花の形はソメイヨシノとは違う、もっと小ぶりで五枚の花びらが細長い桜であった。陽子は、その花をそっとつまみあげた。
「浩瀚、これは桜だよね」
「はい、左様でございます」
「この時期に咲く種類なのか?」
「と、思われますが、もしかすると例年はもう少し早く咲くのかもしれません。今年は全体に花の咲く時期が遅れているようでございますから」
「そのようだな」
「主上、もしかするとこの花は、滝桜かもしれません」
浩瀚はそういうと表情を緩めた。
「滝桜?」
陽子は少し驚いたようにその桜の名前を繰り返したが、すぐに浩瀚からまた新しい知識を教えてもらえるのではないかと思い、好奇心に目を輝かせた。そんな視線をまぶしく感じながら、浩瀚は陽子に桜の説明を始めた。
「建州の中ほどにある、山に囲まれた村に美しい湖があるのです。村といっても井田法にのっとり区画を切ることができないほどの小さな土地しかなかったのですが。その村の湖のほとりに随分と昔から桜の木があったようで、村人たちが熱心に世話をしておりました。歴代の女王が見事な桜を愛でたということで、慶の記録書にたまに出てくるのでございます。」
「へえええ、それはすごいね。いったいどんな桜なんだろう?」
「主上は、枝垂れ桜という種類の桜を御存知でしょうか?」
「ああ、聞いたことはあるよ。枝が上に向かうのではなく垂れ下がって咲く桜だね?見たことも多分あると思うのだけれど、忘れてしまったな」
陽子は、蓬莱の出来事を思い出していた。蓬莱では、陽子たちが「桜」といえばソメイヨシノのことだった。小学校や中学校で入学式のときに満開でその花びらを散らせていた桜。切ない思いがふと浮かんでは消えた。
「主上の言う通りでございます」
浩瀚は、陽子のそんな様子をわかってはいたが、あえてそこには触れずに話しの続きを始めた。そんな浩瀚のほうに、陽子も改めて向き直る。
「私の言う通りというと?」
「下に向かって枝が伸びるのでございます。こちらの建州、たしか四春(ししゅん)と呼んでいた村にある桜は、身の丈が六、七丈。幅が一丈半ほど」
「ちょっと待て、浩瀚。六丈といえば、ええと……10メートル近くあることになる! そんなに高い木なのか?」
「はい、ですから満開になりますと、そのしだれた枝についた可憐な花が、まるで滝のように見えますので、滝桜かと」
「ふうん、それはすてきだ。見に行きたいな。けど、まあ無理だな。忙しいし」
陽子はにっこり笑うと、食事の片づけを自ら行おうとして、祥瓊に小声でたしなめられた。
「ちょっと、陽子ったら。お客様がいるときは、命じればいいのよ命じれば!」
「あ、そうだったね。コホン、大変美味であったと伝えてくれ。私は執務室に戻る」
そう言って部屋を出ていく陽子を見て、浩瀚は思わず目で笑ってしまったが、すぐにいつもの穏やかな表情に戻すと、陽子の後を追って、自分も王の執務室に向かった。

 このあと、浩瀚は書類を片付けてすぐに内殿を退出した。しかし、何かを思いついたらしく、冢宰府には戻らずに仁重殿へと向かった。

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