同業者の誼と、愛しさと
黎絃さま
* * * 下 * * *
2011/03/30(Wed) 17:11 No.196
泰麒と話し始めて一刻が経つ頃、景麒は北の方角で王気が近くなるのを感じた。
同じ理由で泰麒が北を眺めると、驍宗と陽子が戻ってくるところだった。
景麒は延麒らのいる方向をうかがった。氾麟も景王と泰王を見ていたらしい。
氾麟は景麒と目が合うと、意味ありげに笑んだ。
彼女に限らず、紫冥山に集まった者は皆きづいていた。
景王と泰王は一方通行の相思相愛をしていると。
景麒でさえ驍宗が陽子をにくからず思っていることは知っている。
それを陽子に教えてあげられないのは、やはり世間体のためだった。
慶は恋する女王を信用しない。先王の行いが、いまだに陽子を縛り付けている。
何時になれば自分は官吏たちの前で、主の恋を擁護してあげられるだろうか。
景麒は己の不甲斐なさが苦々しかったが、かろうじて溜息は控えた。
驍宗と陽子が庭園を一望できる高台に座ると、
殆どの麒麟が宗麟と供麒の周りに集まり、何かの遊戯を始めるのが見えた。
ただし劉麒と徇麒は、相変わらず滝桜のもとで難しい顔をしている。
陽子は彼らの様子を見て、思わず微笑した。
「どちらかといえば、景麒はあの二人組と似合いそうなのに――泰王?」
振り返ると、驍宗が――あの驍宗が、茶を噴き出していた。
始めは笑うまいと咳払いをしていたが、陽子に「笑っていいのですよ」と
言われたとたん、涙までこぼしながら笑ったのである。
陽子が今までみた中では、最も朗らかな驍宗だった。
図らずも驍宗を笑わせた陽子は、ここぞとばかりに景麒の逸話を掘り返し始めた。
一方で延王・尚隆が陣取った四阿の周りは、ソメイヨシノが満開だった。
「一人で飲む」はずだった尚隆の前には、「一人で散策する」はずの藍滌が座っている。
藍滌は尚隆に酒をついでもらいながら、からかい気味に問いかけた。
「麗王の墓参りは済んだのかえ」
「物覚えだけは良いのだな」
「一度も会ったことのない旧友とういうのは、どんな感じだろうと興味深いだけだよ」
「貴様は一度だけ会ったといったな。自分の即位式で」
「うむ。麗王と謚されるに足る、端麗な容姿の持ち主だった。口数が少なすぎて対話が続かなかったが」
「おれとの文通では度はずれたお喋りだったぞ」
「のろけかえ?」
「いや、からかっているだけだ」
「ならお返しに、一つ教えてあげようか。麗王がそなたと一度も会わなかった理由を」
「知っているのか?」
「断定はできないがね。なぜ一度も延王と会わないのか、と聞くと悲しそうに笑っていたよ。
『延王は私の父と声がそっくりなのです』と言ってね」
「…………」
「それにしても、己の父君に対しても容赦のなかった麗王が時の劉王にうつつを抜かすとはそなたも予想できなかったのだろ?」
「茶化して言うな。その点は本人も自覚していた。いいように使われていると分かっていながら、劉王のために玉泉を幾つも枯らしたと散々自嘲していたんだ」
「すまない」
「いい。だが此処に来るのは未だに気が晴れない。麗王が最後に寄こした鸞の伝言を聞いた時、そっこく蓬山へ向かったならそいつを止められたかもしれないと悔やんでしまう」
「考えすぎじゃ。禅譲が受け入れられたということは、既に更生の見込みがなかったのだろうよ」
「麗王の最期を看取った女仙も、そういっていたな」
「まさか、本当に蓬山まで押し掛けたのかえ?」
「ちょうど半刻遅れてな」
ひとすじの風が二人を通り過ぎる。
「……それは初耳だ」
麗王は尚隆のために桜園を作っておきながら、敢えて二十年以上も披露を控えた。
尚隆に桜園の存在を知らせたのは、麗王が最後に寄こした鸞である。
後になって逆算すると、麗王は白圭宮の禁門を発つと同時に鸞を飛ばしたと考えられた。
「最後の鸞」は夏の夕日を背にして、「憩いの時間が欲しいときには何時でも紫冥山を訪れてほしい」と言った。
日を指定して招待するでもなく、夏になって桜の話をする不自然さには尚隆も気がついた。
惜しまれるのは、玄英宮を飛び出したのが亥の刻だったというだけ。
尚隆が息も絶え絶えに駆け付けると、彼を迎えた碧霞玄君は目に見えて動揺していた。
麗王が命を断ったのは尚隆が着くより半刻まえのことだった。
数日後に執り行われた麗王の葬儀は藍滌も覚えている。
尚隆も葬儀には参列していた。戴の諸官は故人の遺言どおり、王を紫冥山に葬った。
王になって間もない藍滌は、一滴の涙も見せない尚隆を目にして薄情な名君だと思った。
翌年の春、単身で紫冥山を訪れた尚隆の様子までは藍滌も知る由がない。
もちろん今も麗王をしのぶ尚隆をみれば、初めてこの景色を目にした時の悔恨など想像に難くないが。
ところが尚隆は藍滌を粛然とさせたのが気まずくなり、自分の方から話題を変えた。
「それにしても枝垂れ桜の谷は絶景だったな。道楽には一銭も出さなさそうな顔をして、驍宗もにくいことをする」
「それなのに彼と景王を二人きりにしてよいのか?あのようにさり気ない気配りをうけて落ちない婦人はいないと思うのだが」
だが尚隆は自信たっぷりに冷笑する。
「それはないな。驍宗は決して『景女王のために遊歩道を作らせました』などとは言わない。そして陽子は、親切に教えられなければ絶対に気づかない」
「何故そう言い切れる?泰王が生真面目なのは認めるが――景台輔じゃあるまいし」
「なぜもなにも俺が釘を刺したからだ。陽子には予王のことを蒸し返し、驍宗には麗王のことを想起させた。ついでに陽子には貴様が驍宗を見染めたと言っておいたからな」
「とんだ横暴だの。私が泰王に恋慕しているだと?聞き捨てならぬ」
「陽子は簡単に信じたぞ。泰麒を探す際、お前の諸々の言動を考えれば当然だろう」
「人の恋路を邪魔する者は馬になんとか、という言葉が蓬らいにはなかったかえ?」
「ほうっておけ、ドンピシャリと俺の好みなんだ――二人ともな」
そう言い放ってそっぽを向いた尚隆の目には、供麒に遊戯の罰酒を勧める六太が映った。
采麟はずっと一人勝ちしていたが、途中からは供麒の罰酒を肩代わりして飲んでいる。
負け続けている供麒を見かねたのか、それとも単に飲み足りなかったのかは定かでない。
滝桜の大木を眺めると、徇麒と劉麒は議論を終えたのかのんびりと桜を見上げていた。
とちゅうで劉麒は何を思ったのか、徇麒の膝を枕にして寛ぎ始めた。
遠くからそれを見てとった塙麒は、徇麒の膝をとられたのが相当くやしかったらしい。
塙麒は急に廉麟に甘え始めた。すると六太も悪のりして、宗麟に甘え始める。
大寒桜の下では、景麒が泰麒に膝枕をしてやっていた。
氾麟は異様な展開に呆れていたが、気を取り直して采麟に指導碁を頼んだ。
采麟は酒壷が空いたのを確かめると「同業者の誼ですしね」と呟き、使令に碁盤を持ってこさせた。