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長くなってしまいました。すみません。 Baelさま

2011/05/20(Fri) 19:56 No.1016

登場人物   浩瀚・桓堆  
作品傾向   シリアス(浩陽風味)  
文字数   3731文字  

惜花晴嵐 ─夜─

Baelさま

2011/05/20(Fri) 19:57 No.1018

「待たせたな。……桓堆?」
冢宰府の奥まった一室から露台へ出た浩瀚は、そこで小首を傾げた。
昼となく夜となく執務に精励する浩瀚のところへ、かつて麾下であった禁軍左将軍が酒瓶を持って現れたのは一刻半前のこと。
端から見れば邪魔をしているとしか思えない振る舞いだが、それはいつものことだ。放っておけば仕事をしたまま夜明かししかねない浩瀚を制止する意味も含むとあって、冢宰府の官吏のみならず主である女王からも推奨されている。
しかし、当然に節度は求められるため、そこまで頻繁ではない。桓堆にも禁軍を預かる立場としての責務は課されており、暇なわけもない。
だが、今回は一昨日訪ねてきたばかり。何事かと思いつつ手が離せなかった浩瀚は、いつも通り露台を指さして「一刻半後」とだけ告げた。
その時点で浩瀚の前に積み上がっていた書類は山どころか山脈という表現が相応しい量だったが、浩瀚が基本的に出来ないことは言わないと知っている桓堆は、笑って露台へ姿を消した。そして、約束──という程に大層なものでもないが──通りに一区切りつけた浩瀚は、同じく露台へ足を運んだのだが。
「何だ、これは」
「ああ、浩瀚様。たまには趣向を変えて園林で呑もうと思いまして。小卓を運ばせて頂きましたよ」
「いや、それは構わないが」
言いながら、露台から続く園林へ下り、灯された明かりの側に置かれた小卓へと歩み寄る。
その間、小卓の上といわず下といわず、とにかく乱立した瓶の数を呆れた気分で数えてみた。その数およそ三十八。もしかしたら陰になっているだけでもっとあるのだろうかと思うが、それ以上は数えるのが面倒臭くなってやめた。
「酒の利き比べでもするつもりか?」
「貴方とですか? 勝負にもなりませんが」
「そうでもないだろう。以前に一度、負けた覚えがある」
「……あれは麦州の外れの里でほんの少しだけ作っている地酒を持ち込んだからですよ」
「そうだったな」
「大体、利き比べに一瓶は多いでしょう……と、貴方に言っても詮無いですね」
浩瀚は軽く肩を竦めてみせると、並んだ中から一本引き抜いて勝手に自分で注いだ。
この二人で酌み交わす際、一々注いで注がれてというやり取りはない。大体、そんなことを気にする相手ならば、既にして七、八本ほど空になった瓶が転がっているという状況はあり得ないだろう。
「今日はどうした」
「いえ。たまには風流に花見酒など如何かと思ったもので」
「それは確かに風流だ」
浩瀚は頭上を仰ぐ。見上げるそこには、盛りの極みを迎えて風も受けずに花びらを散らす桜の樹。園林に幾つも置かれた明かりに照らされ白く浮かぶ様は、白雲に似る。
その真下で酌み交わすは風流と、確かにそれは頷ける。
だが浩瀚は、「お前が言うのでなくばな」と、笑って付け加えた。
「そうですか?」
「花を愛でるが目的ならば、酒瓶を連ねるのはおかしいだろう」
「浩瀚様ならば、このくらいは軽く空に出来るでしょう?」
「私は鯨か? 無理を言うな、この後も仕事がある」
「ああ、相変わらずお忙しいんですね。……お疲れですか」
桓堆のその言葉に、浩瀚は軽く片方の眉をあげ、やれやれと頭を振った。
「何事かと思えば。桂桂が喋ったか」
「冢宰の名代を託されたは随分と嬉しかったようで、太師邸にてひっきりなしに喋り通しだったようですね。とはいえ、謹厳なる冢宰閣下が木登りなどをと、その部分は精々がところ足を掛けたか腕を伸ばしたかといった風に周囲は解したようですが」
しかし、と。桓堆は、そこで肩を竦めてみせた。
「かつて俺は、気分転換と称して何処か高いところへ姿を隠してしまわれるという奇癖をお持ちの州候様を知っていましたからね」
「ほう、それは変わり者だな。しかし私は桂桂の鞠を取ってやっただけだが?」
「そう仰ると思いました。……ですが、主上が案じておられましたよ」
ふぅ、と。溜息を吐きながら桓堆に言われ、浩瀚はほんの僅かに眉根を寄せた。
「主上が、何と?」
「貴方は桜に何か辛い想い出でもあるのか、と。あるいは……そこに何か、擬えて堪えねばならぬものはあるか、と」
「で、お前は何と申し上げた?」
「浩瀚様の顔と声で真実が判じられた試しがありません、と」
「随分だな」
「正しい答えだと思ったんですがねえ。ちなみに主上も仰っておいででしたよ?」
「ほう。何と?」
「貴方が語らないことに真実があるようにも思える、と」
浩瀚は一度瞬いてから、そうか、と呟いて杯を干した。
「主上の信を頂けていないとは、私の不徳の致すところ。申し訳もないことだ」
「むしろ信じておいでだからだと思いますが」
と、桓堆もまた自身の杯を空にしながら首を傾げてみせた。
「お前はそう思うか」
「はい。なので、追加でご助言させて頂きました」
空いた酒瓶を小卓の下へと移動しながら、桓堆はくつりと笑う。浩瀚は残った酒瓶からまた適当に一本選びながら、「何と?」と問うた。
「浩瀚様がそんなに素直な方とは思えません、と」
「……やはり随分な言われ様に思えるが」
「ですが、主上は笑って下さいましたよ」
だから構わないでしょうと言われ、浩瀚はそうかもしれないと小さく笑んで答えた。答えながら杯を干し、そこで気づいて小卓の下をのぞきこむ。
並んだ空瓶の数を数えて、桓堆を軽く睨んだ。
「桓堆。お前、どれだけ呑む気だ?」
「浩瀚様がお呑みになった分もありますが。……嫌だな、そんなに睨まないで下さい。怖いので」
くつくつ笑いながら両手を掲げて見せ、桓堆は言った。
「本当は、お気づきにならなければ、全部呑み干してからにしようと思ったんですがね」
「流石に無理があろう。……それで? 酔わねば言えぬ何を、私に言おうとした」
と、浩瀚は卓に頬杖を付いて目を眇めてみせた。ひらりと片手を振って煽ってやる。
桓堆は、僅かに瞠目してからそっぽを向き、こりこりとこめかみの辺りを指で掻いた。「怖いなあ」というわざとらしい呟きは、二人共にそのまま黙殺する。
「なに、本当にたいしたことじゃありませんよ。ただ、一つだけお約束しておこうと思って」
「酔ったお前が?」
「ええ。俺は酔っているんで、大言壮語させて頂きますよ。……たとえ貴方がこれまで切り捨ててきたどれだけの人に恨まれていようと、俺は貴方と主上を守りますし、貴方から主上を守りますんでよろしく、とね」
「…………成程」
「おや。珍しく貴方という的を射ることが叶いましたか?」
浩瀚様が大人しく頷くなんて珍しい、と。かなり本気の様子で言われ、そうだろうかと浩瀚は首を傾げてみせた。
「それなりにお前の意見は取り入れてきたと思うがな」
「軍や戦に関してはね?」
「頷いたからといって肯定したわけではない……かもしれないが?」
「ああ。貴方ですからねえ」
ややうんざりしたように桓堆は言い、ですが、と続けた。
「少なくとも俺は、貴方が主上以外にはそんなに優しくはない方だと知っていますのでね」
「つまり?」
「主上が絡まない場合に、大して悔やまれることもないだろう、と」
「そうでもない筈だがな」
「おや、今度は否定されてしまった」
調子に乗りすぎたかなと呟く桓堆に、むしろお前は呑みすぎだと浩瀚は返した。
「いい加減、明日に響く。切り上げてはどうだ。酒は……仕方がないので、またお前が来るまで何処かに取り置くように命じておこう」
「ですが、桜が散ってしまいます」
「…………」
浩瀚は右手で杯を明かりに翳した。その指先に掠めるように触れて、杯に花びらが落ちる。浮いた花びらに何かを透かすような目をして、酒を干す。
その様を、じっと桓堆が眺めていた。
「浩瀚様?」
「花は散るものだ、桓堆」
「ええ、それが理ですとも」
「或いはそれを留めたいと浅ましく希うのが人であることも、理の内なのだろうな」
「貴方は留めたいんですか?」
「さて?」
どうだろうなと呟く口元は穏やかに微笑む形をしている。それを本人は知っていて、それ以外の形を取らせない。
桓堆は浩瀚の顔を見て、やれやれと嘆息した。
「見当外れかもしれませんが、一応言っておきますとね。かつての俺も俺の麾下の奴らも、貴方に従ったのは自分の意志ですし、結果も自分の選択だと理解していますよ。勝手に背負わないで下さいね。……それと、もう一つ」
「もう一つ?」
「畏れ多くも主上のお気持ちを斟酌して勝手に語りますが、あの御方も貴方を信じて後悔することはないと思いますよ。結果がどうあれ、ね」
僭越だと咎めるべき桓堆の言葉を黙って聞いて、浩瀚は「そうか」と呟いて桜を見上げた。
暗闇の中、はらはらと、はらはらと散り続ける薄白い破片。千切れ舞い落ちるその姿。
桓堆は、「浩瀚様」と低い声で呼んだ。
「貴方は主上のどういった様を桜に重ねられました?」
浩瀚は答えなかった。
暫く沈黙していた桓堆は、ややあって「では、俺はこれで失礼致しますよ」と言い置くと、空けた酒瓶の数にも関わらず意外に軽やかな足取りで立ち上がり、先に園林を出ていった。
残された浩瀚は、一度、瞳を閉ざす。
そして下官を呼び、園林を片付け明かりを消すように命じ、仕事に戻ると言い置いて背を向けた。
常と同じ凛然とした背中に、酒気の名残はない。そして。
もう、桜を振り向くことはなかった。

──春ふかみ枝も揺るがで散る花は風のとがにはあらぬなるべし

背景画像 瑠璃さま
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