「戻」 「投稿作品」 「11桜祭」

長くなってしまいました。すみません。 Baelさま

2011/05/20(Fri) 19:56 No.1016

登場人物   浩瀚  
作品傾向   シリアス(浩陽風味)  
文字数   1289文字  

惜花紅雨 ─夜─

Baelさま

2011/05/20(Fri) 19:58 No.1020

「どうした」
衝立の向こうから呼ばわる声に、浩瀚は冷えた窓に寄りかかった姿勢で掌の中で玩んでいたものをいったん卓に置くと、短く問うた。
深夜に近いにもかかわらず冢宰の近くに控える下官が、主の言葉に「はい」と応じる。
「冬官府の者がお貸しした道具を引き上げたいと参っておりますが、如何致しましょうか」
「そうか。では持っていってもらってくれ。それから、急なことを頼んで悪かったと」
「畏まりました。閣下のお言葉として伝えさせて頂きます」
「宜しく頼む」
是と答える声と共に、気配は遠ざかる。
失せるのを待って、浩瀚は「さて」と呟いて卓に置いた物を再度取り上げた。
自身の掌の熱でやや温められた、小さなもの。
「どうするか」
それは、楕円形の小さく平べったい玉のようなものだった。翳す灯火に僅かに鈍く光るその色は、滑らかな琥珀に似ている。大きさは、簪の玉にするにはやや小降り、指輪の玉にするにはやや大きい。
中途半端なそれを、浩瀚は感情を顕わにしない瞳で検分した。否。正確には、そこに閉じこめられたこの世に唯一のものを。
とろりとした飴色の樹脂。冬官に命じて持ってこさせた道具により、彼自身がそこへ閉ざした。
現実にあってはやがて、色を変えて萎び朽ち、失せてしまうはずのもの。
桜の花。その一欠片の花びら。
けれど、今やそれは失せぬ永遠の形を持って、浩瀚の掌の中にある。
「どうしたものか、な」
それは何処にでもあるただの桜の花びらだった。おそらく、普段は足下に敷いて、浩瀚は顧みない。
それでもこの世に唯一のものだった。
──これは私。
柔らかな声と共にこの花びらを差し出した華奢な指が、真剣に花びらを見つめた翠の瞳が、一瞬だけ眼裏に蘇る。その映像を思い返すことはないが、忘れ去ることもない。
だから彼は、自らの手でこれを封じた。
その行為に託す想いを言葉にすることはない。言語化した瞬間に固着する想いを、彼はよく知っていた。
ありふれたものを、主に捧げることは望まない。
それでも。
「これをあの方に捧げたら、喜ばれるだろうか。哀しまれるだろうか」
呟きながら明かりに翳す、樹脂の中の花びら。
彼の主の形代。
そっと輪郭を指先でなぞる。或いは言葉よりも指先は想いを深く伝えるかもしれない。
分かっていながら、その飴色の玉を指先で撫でる。
光に翳したその一瞬。
まるでそれは、彼の主の健康的な肌の色のようで。それを思わず想起して。……息を、呑んだ。
振り払うように、窓の向こう。昼よりなお降り続く夜半の雨が残す細い銀線を目で辿る。
おそらくはもう、この冷たい雨に打ち落とされて、桜の花びらは全て散り、地に落ち、来年のための糧となっているのだろう。
その想像が、珍しく僅かな言葉となった。
「もしも貴女が本当に花びらなのだとしたら……」
その続きは音にならず、ただ唇は閉ざされる。
──幾ら雨に打たれようとも、その樹の下から離れることはないでしょう。
だから、ふと胸を過ぎった想いが本音かどうかも。彼は、己自身に証さない。
ただそっと玉を握りしめた自身の右手に。彼の主の掌に触れた自身の手に。そっと、口づけた。

──春雨の花の枝より流れ来ばなほこそ濡れめ香もや移ると

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