笑顔咲ク ─参─
Baelさま
2011/05/22(Sun) 19:59 No.1066
「どうした」
【だから、慶桜赤珠。ほら、書けただろう景麒。
食べた? 楽俊。今年の出来はどうだろうか。去年よりちょっとは長く保たせられるようになったんだよ。
瓶詰もね。密閉性の高い瓶が量産できるようになって。砂糖も慶で増産できるようになってきて。これでもっと沢山出荷できるようになるかな。】
鳴賢が自室に戻った後、楽俊は再び書簡に目を落とした。
楽俊と祥瓊に何事かないのかと延々聞いていた鳴賢は、戻りしな、是非とも祥瓊に鳴賢が礼を言っていたと伝えておいてくれと、念を押していった。
まあ、陽子が喜びそうな噂を大量に教えてもらったのだ。その程度はお安いご用だが、どう頑張っても鳴賢の望むような展開にはならなそうだ。
「まあ、いいか」
呟いて、楽俊は書簡に戻る。
【本当の本当は、慶の人達みんながこれを食べて、美味しいと言ってくれるのが夢だったりするんだけどね。まあ、まずは嗜好品より、水路や耕地開拓だから。
余所から集めたお金でこつこつと、って感じです。
こつこつとといえば、文字もそうかな。
勿論、まだまだ汚くて、しょっちゅう祥瓊に書き直しを食らうんだけど。
ああ。でも、楽俊にこうして話し言葉で書簡を書けるようになって嬉しいです。
言葉って、つまり、考えたことだろう? 書簡の形式に則らずに伝えられるということは、私がこちらの者として考えられている証拠な気がするんだ。
……というところで、ね。ええと、当初の予定としては、ここまで書いてきた内容を綺麗な紙に清書するつもり、だったんだけど。しなくていいかなあ。
あ。祥瓊が物凄い顔をしてる。
いや、だから、さらに文字を書くのが嫌なんじゃないってば。と、ほら、これも文字で書いてるし。
ただ、執務の合間、皆に覗き込まれながらあれこれ書いたから。何か、その空気も含めて楽俊に伝えたいなと、そう思ったんだ。
喩えて言うなら、生の“さくらんぼ”と糖蜜漬の“さくらんぼ”?
この書簡は生、ということで。
希少価値だよ、きっと。
……祥瓊には、ゴミと大差ないと溜息を吐かれたけど。
鈴が、私の練習用の紙を最初から書簡用の物に変えておけばと、笑うけど。流石にそれは、勿体無い。
いや、勿体無くないように、字を上達させればいいんだけどさ。
一応、頑張っているんだよ?
楽俊に手紙書く以外にも、浩瀚とか松伯に本を借りたお礼とか、桓堆や虎嘯に剣の稽古の付き合いのお礼とか、祥瓊や鈴や桂桂にちょこっと噂話とか、やっぱり何気ないお礼とか。口で言えば早いけど、文字にしてね。
やっぱり練習用の紙なんで、外には出せないわねと祥瓊は揶揄うけど。
まあ、そんなわけで……楽俊への書簡も、これでいいかな。駄目かな。
来年、同じように“さくらんぼ”を送る時には、最初から綺麗な紙に書けるようになっておくつもりだから。って書いたら、景麒が、言質を取ったぞという目でこちらを見たんで、失敗したかもと、今、思っています。
楽俊。この書簡取っておく?
祥瓊曰くゴミみたいな紙だから捨ててしまっていいんだけど、取っておくなら隠しておいてね。
来年の今頃、景麒に頼まれた六太君がこの書簡を持って雁からやって来たらと思うと、結構、怖い。
とか書いていたら、本当に六太君が来た。
“さくらんぼ”と一緒に……分かった。睨むなよ、景麒。慶桜赤珠と一緒に、この書簡も持っていってもらうつもりなので、この辺りで筆を置きます。
祥瓊や鈴も待っているから、是非、また遊びに来てね。
あ。景麒も待っているそうです。本当にそう言っているんだよ。
それでは、また。】
くつくつと、楽俊は笑って書簡を閉じた。
成程、と思う。
反古紙に自由に書かれた陽子の言葉達。それが陽子の考えや思いをそのまま表すというのなら、受け取った楽俊にとって、これ程嬉しいものはない。
おそらく、ゴミみたいなと揶揄する祥瓊にしたところで、本気でそんなことは思っていまい。
そうして受け取った練習用の紙を、皆が皆、大事にするものだから。親しい者に対して話し言葉で一筆書き送るのが、流行りもしたのだろう。目に見えるようだった。
「そうすっと、その内、書簡もこんな風に話し言葉で送るのが、流行るかもしれねえなあ」
それも何だか楽しいような、困るような。
楽俊は笑いながら、では自分はどう返信しようか、と首を傾げる。
どう書き送れば、陽子は喜ぶだろうか、と。
そう思う気持ちは、先程食べた慶桜赤珠に似て。仄かに甘く、爽やかだった。