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黒 い 麒 麟

作 ・ griffonさま

* * *  参  * * *

2010/03/24(Wed) 18:09 No.163

 白圭宮の露台に、黒髪の少年が立っていた。

 常世の少年にしては珍しく、前髪を短く切り揃え、後頭部も刈り上げられていた。露台の端には、崩れかかった石の手摺りがあった。

 ―― 以前此処に立った時には、この手摺りの上端にも届かなかったのに

 少年は崩れかかった石の手摺りの上を撫でた。

 背後から石を食む履の音が近づいてきた。

 ―― 聞き覚えがある。あの時は信頼の音。今は。

「阿選」

 少年は振り返らずに、静かに声を発した。

「確かに」

 阿選は、あの時と同じように少年の背後に立ち、その背中に軽く拱手した。

「死なぬようにと角だけを切ったのだが、戻ってくるとは誤算だった」

「そうですか」

 泰麒は、ゆっくりと振り返った。目だけが淡く笑っていた。

「麒麟には憎悪と言う言葉は無いのか」

 阿選は、面白そうに泰麒の目を見た。

「主上は」

「奴も死なぬ。俺が生きているかぎりはな」

「そうですか」

 阿選も泰麒も、互いを見詰めたまま動かない。言葉も無く、ただ見詰めていた。

 泰麒が鳴蝕を起こしたために崩れた宮も、この露台も当時のままだ。修復する気も無く、崩れていくままに放置されていた。それはそのまま戴の状況だった。いや、まだ戴の国情よりはましだ。阿選には、偽王として治めるつもりなど端から無い。戴を根絶やしにする事しか、その頭の中には無いとしか思えない。民を、国土を思う様踏み躙っていく。それに比べれば、放置されているだけこの露台はましだった。

 泰王から玉座を簒奪した者は阿選だと言う事は、今では周知の事実だ。阿選を呪う声はこの国中に満ちていた。泰王を望む声も同じだけ、この国に満ちていた。だがそれは、驍宗を望む声では無いのかもしれない。民にとって、王などは誰であっても同じなのだ。施してくれるのならば、例えそれが阿選と言う名であっても。阿選を呪うのは、ただその名が施すものが死であるからと言うだけだ。苛烈に、火急に、無駄なく、満遍なく、平等に。驍宗とは、施すものが違うだけだ。

 だが一方で、驍宗が行った事が、短いながらも民にとって正しかったからこそ、驍宗への信任が育っているからこそ、泰麒は曲がりなりにも成獣となったと言えるのかもしれない。何しろ、麒麟は民意の鏡。そして、角も無く自身への呪詛にまみれても尚、成獣となったのは、戴の民の驍宗への強い信任と、阿選と言う強い呪詛が民に振りかかっていたと言う状況がそのまま泰麒の状況だったからなのだと言えるのかもしれない。

「角も無く、使令も無い。ただ麒麟だったと言うだけの孩子に、何が出来るのか楽しみだな」

 満面に笑みを浮かべた阿選は、泰麒の肩を右手で軽く叩いた。そして背を向けた。

「謁見はこれまでだ。これでも私は忙しいのでな」

 泰麒の長袍の右の袖先が光ったかと思うと、その光は、背を向けた阿選の頸に吸い込まれた。斜め下から突き上げるように伸ばした泰麒の右手は、細身の短剣の柄を握り締めていた。延髄から滑り込んだ刃先は、阿選の脳を通り過ぎて左眼窩から突き出ていた。そのまま泰麒は、握っていた短剣を鍔元まで押し込んだ。阿選の躯が、微かに跳ねた。

 跪拝するようにゆっくりと阿選の膝が落ちて、そのままへたり込む様に尻を地面に着いた。

「阿選。まだ聞こえますか?」

 泰麒が声をかけた。阿選は、身動きをしない。

「僕には角も使令も、麒麟と言う性も無いようです。血を見ても何とも無いんです。麒麟は手出しが出来ないと、主上を取り戻すまで手出しをしないと思った貴方の読みは、少し当てが外れていたようですね」

 微かに、阿選の右手が腰に帯びた剣に伸びようとしたが、阿選の身体は前のめりに斃れていく。それにつれて、泰麒のもった短剣が、頸から抜け出た。一文字に付いた傷口から、血が滲み出ていた。大きな血管を殆んど傷つけずに、剣は延髄と脳を破壊し、左の眼窩に抜けていたのだろう。例え仙であっても、これではどうしようもない。

「さようなら、阿選」

 泰麒は、抜け出た剣を、阿選の背中の上に置いた。

「さようなら……驍宗様」

 既に死体となった阿選を見下ろした泰麒は、小さく呟いた。

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