黒 い 麒 麟
作 ・ griffonさま
* * * 四 * * *
2010/03/24(Wed) 18:11 No.164
「白雉鳴号。泰王崩御っ」
十二国中の王宮に、二声氏の声が響いた。
泰王に縁のある幾人かの王は、額に手をやり目を瞑って暫く動かなかった。唯一、二声氏の声の響かなかったのは白圭宮だ。声を上げる二声氏が存在しなかったからだ。
珍しく二人揃って朝議に出た後、掌客殿に居た尚隆と六太は、その報せを客人と共に聞いた。掌客殿には、景王中嶋陽子と李斎。李斎を拾った楽俊が居た。
「嘘だっ」
李斎の絞り出す様な呟きが、その房に響いた。
その場に居た誰もが、李斎を否定することが出来ずにいた。当の本人ですら、自らが発した言葉の嘘を頭の隅で認識してはいたが、どうしても受け入れる事が出来なかった。
「驍宗が死んだか」
李斎の心情を判って尚、敢えて尚隆は声に出して言った。
「嘘です。これも阿選の」
「如何に阿選が謀略に長けようとも、白雉をたばかることは、出来はせぬ。白雉を使って人をたばかることは出来るだろうがな。それに、全ての事象を阿選に被せるのは止せ。判断を誤る元だ」
「……」
「確かおまえの話では、泰麒は白圭宮に赴くと言ったのだったな」
「……はい」
「まさか泰麒まで」
陽子はそう言いながら、金波宮発つ直前に見た高里要の後ろ姿を思い出していた。
「そこまでは判らぬが、最悪王と麒麟を戴は失ったのかもしれん」
「では、天帝は何故台輔をっ」
吐き捨てる様に李斎が言った。
「間違えるな。天帝が泰麒を返してくれたのではない。我々が、探して、連れ戻したのだ」
「ですが」
尚隆の言葉に食い下がろうとして、李斎は言葉に詰まった。
「天帝が何を考えているのかは、わたし達には想像も出来ないが、可能な限り無謬であろうとするなら、ルールを敷いた後は、何があろうと手出しをしないと言う選択も、あるいは正しいのかもしれない。王様業を少しやってみて、最近そんな事を考える事があるんだ」
「ちょっとそれは、乱暴すぎねぇか」
呆れた様に、楽俊が言葉を挟む。
「何かをしようとすると、正反対の利害を唱える者が必ず現れる。人の数だけ正しさがあるのなら、天綱以外の何物も定めず、その場その場の状況を当事者が個別に処理した方がと、思ってしまう。そのまま、今回の件に当てはめるなら、まさしくわたし達は当事者で、天帝なんて、傍観者で居るしか無い様に思える、かな」
「その当事者には、俺は含まれるのだろうな」
溜息を漏らしながら、尚隆は言った。当然でしょうと言う視線が、集まる。尚隆も否定はしない。
「しかし、戴国内となると手の出し様を考えねぇとな。何しろ」
「覿面《てんばつ》がね」
「てんばつ?」
「あちらでは、神様が下す罰の事を天罰と言うんだけど。うまく翻訳されるかと思ったら、
そうでもないみたいだな」
楽俊は、他人事のように軽口混じりで話す陽子を、不思議そうに見た。泰麒捜索の頃の様な悲壮感が無いのが不思議だったのだ。照れたような笑いを浮かべた陽子は、深刻になりすぎても、良い考えは何も浮かびはしないと、呟いた。
「とにかく誰かがその目で確かめねば、打つ手もないか」
尚隆は顎に手をやって、房の大きな窓の外に視線をやる。開け放たれた窓から吹き込む風は、春の盛りのはずなのに冷たいものだった。この窓は虚海側に面していて、見える景色を手繰り寄せていけば、白圭宮を正面に見る事が出来るはずだ。驍宗に取られたあの一本を思い出した尚隆は、口角を歪ませた。
「となるとやはり、おいらって事になりますかね」
尚隆と陽子を見比べながら、出かけられるはずも無い身分であるのに、それを十分承知しているはずなのに、そう言わなければこの窓から出て行ってしまいそうな気配を二人に感じた楽俊はそう呟いてしまった。
「楽俊にだけ危険な事をさせるわけには」
陽子は思わずそう口に出したが、それしか無いだろう事は判っていた。
「雲海の上から、何れかの州城に向かう事は可能だろうか」
臥牀の上の李斎に顔を向けた尚隆は、たまに続いてとらを失う覚悟を決めていた。楽俊にも犠牲になって貰わねばならないかもしれないとも考えていた。
「もし、阿選がまだ生きているなら、どの州城に向かってもおそらく状況は大差ないように思います。かと言って雲海の下となると、阿選の手に加えて妖魔どもが居ります。生きてたどり着く可能性は更に低くなりますでしょう。私が台輔と帰還した時には、何故かは判りませんが、文州城は手薄でしたので、どうにか。そのおりも文州が手薄だからと知って向かったわけではなく、ただただ主上が居られるだろう函養山を真直ぐに目指したと言うだけで、これと言った理由はございませんでした。ですから」
「何も判らない事に、変わりは無いと言うことか」
尚隆の言葉に、李斎は力なく首肯した。
「こうも見事に情報がないと、蛮勇に頼るしかないか」
尚隆は口角を上げると、李斎の臥わる臥牀の天蓋を見上げた。